趣味の総合サイト ホビダス
 

» 2010 » 8月 » 28のブログ記事

80年代の半ばに、株式会社FLAT-4が日本国内に
ブラジル製ビートルを輸入・販売していたのだが
当時の関係者から直接、話を聞くことが出来た。

記憶が正しければ という前置きで、
多少、あやふやになっている箇所もあったようだ。

まず、輸入された台数だが40台程度
50台は入れなかった という話だった。

予想していたよりもずいぶん、少ない。

200台前後は輸入されているのかと思っていた。
当時、纏まった台数を輸入する ということで
株式会社FLAT-4の小森社長他、数名がブラジルに招待されたらしい。
その現地で契約書などを取り交わしたのだが、中に
「見本と違う部品・仕様の車両が混じってもクレームを付けないこと」
という一文が混じっていた というのは興味深い話だった。

21世紀の現在と当時では、多少、事情が違う。
当時のブラジル国内は軍事独裁政権から、民政移管への
過渡期であった。

1964年 クーデターにより軍事独裁政権を確立し
親米反共政策と、外国資本の導入を柱にした工業化政策が推進された。
この時期に「ブラジルの奇跡」と呼ばれたほどの高度経済成長が
実現したが、1973年のオイルショック後に経済成長は失速し
さらに所得格差の増大により犯罪発生率が飛躍的に上昇した。
また、軍事政権による人権侵害も大きな問題となった。
1985年に民政移管が実現し、文民政権が復活したが、
インフレの拡大により経済は悪化し続けた。

では、自動車産業、西ドイツから進出したVWは?というと
1953年にブラジルの現地法人である
「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」を設立し「ビートル」や「パサート」などの生産を行うとともに
「ブラジリア」や「ゴル」などの独自車種の開発、生産も行っている。
1979年には、経営危機を受けブラジル市場から撤退したアメリカの
クライスラーの工場施設や販売拠点を買い取り、中型トラックの生産にも進出した。

また、ブラジル国内では当時からガソリンのほかに、アルコール燃料も
実用化されており、諸外国と違うアルコール燃料仕様の空冷エンジンが
量産されて公道を走っていた。
ブラジル国内では経済的・政治的に混乱していたが、海外資本と
安定した顧客の確保で、優良企業だった と、言えるのだろうが
「見本と違う部品・仕様の車両が混じってもクレームを付けないこと」
というような契約がなされる混乱もあったのだろう。

ビートルが日本に輸入されていたのは、こういう時代の話だ。
詳細は不明だが、1983~1985年前後の数年間の間と思ってよさそうだ。
この時代背景を調べた後だと、FLAT-4が苦労した話もうなずける。

広告に出されていたビートルのボディーカラーは
レッド ホワイト ブルー の3色。ところが、輸入された車両の中には
イエローの車両があり、レッドの数が足りなかった 
という事もあったらしい。
レッドをオーダーした顧客にイエローを納入するわけにもいかず
かといって数は足りず 顧客を待たせたり、特別限定カラーと銘打って
イエローのボディーカラーの広告を出したりもしたらしい。

日本国内で走れるよう、整備しているとガソリン燃料エンジンではなく
アルコール燃料仕様のエンジンが載せられているのを見つけたり
同じ便で到着したのに、細かな部品が違う仕様になっていたり と
日本国内で流通させる基準を満たすべく
かなり、苦労したという話を聞かせていただいた。

当時の雑誌広告などを見ると、ブラジルから12Vのビートルを輸入して
日本国内で6V仕様に改造・販売した という印象があったが、
実際は、日本輸出仕様として「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」が
6Vスタイルの車両を製造。 日本国内ではリアフードを交換して
安全基準を満たすように改修して販売した というのが正しいらしい。

以上の話を聞くと、輸入された数が50台に満たない というのも
納得である。 輸入して右から左に売りさばく とか出来る状況ではない。
これだけ苦労して輸入されたブラジル製ビートル
今ではどのくらいの数が生き残っているのだろうか?
しかし、輸入台数が50台未満 というと、グローリービートルよりも
数は少ないよね。

この希少性に価値を見出すか否かは、人それぞれだろうけど(笑)